引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年01月30日

恋愛で重い男と女、その本質的意味その2

なぜ恋愛は
重くなくて軽く有るべきか?
ということに関する前回の続きです。
恋愛が重いと避けられちゃうのはナゼか?

軽いというか、
スマートであるべきという意味なのだろう。
おしゃれというかロマンチックというか、
ソフィスティケイテッドされた軽やかな感じ、
フットワークがオシャレに軽いイメージを女は好む。
余裕有る男じゃないと、そんなこと出来ませんからね。

セックスやりやりの
ド腐れ恋愛のイメージを
ほとんどの女性は好まない。

ところが、男は、
そういう肉欲交流恋愛でも
平気な部分が有るかもしれない。

さて、危険な奴は、
こっそり世の中に存在する。
普段は猫かぶっているマジメ系の重い人間ほど、
重症に惚れて惚れてオカシクなって、
恋愛がらみで相手を殺したりしますから、
重い雰囲気で危険を察知して女性は避けるのだろう。

妻が浮気したら、
夫が妻を殺してしまうのは、
重々しい恋愛感情の裏返しだからね。

これだけ重く愛しているのに、
なぜ、俺を裏切ったのだ、、、というハナシ。

しかし、かんちがい女性は言うだろう。
ほんとうに愛しているのならば、
与えまくるべきで私が浮気しても許すべきだ。

しかし、
搾取を好む人間が
アチラコチラ存在するのは、
人類の歴史が開始してから、
そこらじゅうに見て取れる風物詩みたいなもの。

彼氏の借金を法律上何の義務も無いのに
ソープランドで働いて返済する女性が居ますが、
与えて与えて与え続けても、
「よっしゃ、よっしゃ、ぐふふ」
「もっと!もっと!もっとぉ〜!」
というように際限なく骨まで丁寧に、
しゃぶりつくし、
ぺんぺん草まで抜きとっていく人間は、
昔からも居ますし、現在も、
さらに将来も発生し続けることでしょう。

どうして、小学校の頃から、
「ターゲットから死ぬまで搾り取るタイプの人間」
を授業で教えないのか不思議です。

愛は与え続けるものだ
というマヤカシを細かく検討せねばならぬ。
与えることの詳細な意味や条件や内実の検討が必要だ。

与え続ける側が、
「物事には限度が有る!」
と激怒したときには既に手遅れですから。

愛は与え続けるもの
という考え方が通用する空間は、
本来、与える義務などない空間。

与える義務が有る場合は、
そりゃあ、アナタ、
単なる法律上の義務であって、愛とは無関係。

だから、
法律上の権利がないくせに、
主張が激しい連中、すなわち、
ちょうだい、もっとちょうだい、
クレクレ君、クレクレタコラ君に与える必要なし。

なぜならば、
愛には以下のような厳密な条件が存在する。

相手を生命的に殺せる場合や、経済的に殺せる場合、
人格的に殺せる場合に、敢えて実行を控えるのが愛だ。

与えている側が
生殺与奪権を有していて、
いつでも相手を殺せる場合は、
生きるチャンスを与えることが愛だと言える。

彼氏に惚れている女が彼氏の借金を
ソープランドで働いて返済してあげるのは、
解釈的に見れば彼を生かすも殺すも私次第
という生殺与奪権を認めることもできそうだが、
実質的に検討すれば、
惚れた弱みを握られて立場が弱いだけであって、
彼氏のほうが強い。

だから、
女の弱い立場を自己正当化するために、
無理やり、こじつけて「与えるのが愛」
というレトリックに
自己の思い込みをかぶせて解釈し、
自己の行動を美化する心の働きを
厳密に見抜かなければならない。

与えるのが愛だと考えた場合の
3つのフィルタリングを次回に記事として書く予定だ。

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 愛の三原則 | 更新情報をチェックする
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