引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年03月08日

愛されていないと感じる時の決定権その2


親に愛されていないとか
食い物にされているとか
見捨てられているとか
それらの事柄すなわち

虐待されている
もしくは
虐待されてきたという認識は

コチラが自由に決めて良いのです。

恋人に関しても同じこと、
恋愛で愛されているかどうかは、
相手でなく自分が決めることだ。

こんなことは黙って決めるたぐいのこと、
恋人に相談しても、其れは違う、そうじゃない、
などと、コチラを屁理屈で説得しようとしてくる。

恋人に相談したがゆえに、
相手がストーカーに変貌する場合もあるので
注意したほうが良い、だから黙って決めるんだね。

もう遅いんじゃボケと考えつつ
女性のアナタは心中で凱歌を歌って良い。

さて
親からの虐待について
躾の一環だったか、もしくは、
虐待であったか決めちゃいましょう。

最高決定権を
有するのはコチラ側である。

理由は如何?

なぜなら、
絶対的に
親という生き物は、
或る種の傾向をまとう生き物。

或る種の傾向とはなんぞや?

養子としての我が子に限らず
紛れもない遺伝子的な我が子に対して、
これに対してでさえも謝らず認めずの傾向なり。

いいや、むしろ、
他人様の子には優しい生き物で、
自己種を継続した我が子だから良いのだという傲慢、
この絶対的な支配権を手に入れた傲慢に依拠しつつ、
むしろ加勢する仕方を伴う遺伝子的という感覚的塩梅。

傲慢な遺伝子は人間の臆病の為せる技、
すなわち
世の中を舐めて(我が子の復讐心をナメて)
傲慢に振る舞うことで王様の気分を取り戻し
自己実現や自己自信を覚知する所為に同等なり。

中身は空っぽなのに
根拠のない自信を堅持して周辺に無理を強いる。

この傲慢人間は
まわりから攻撃を受けて負ける場合は秘匿して、
相手が弱いと感じれば大上段な態度に出て無茶苦茶する。

現役のヤンキー気取りを演じて
気分を落ち着かせるという精神安定に飛びつく愚行、
これを傲慢と言うが、
傲慢を伴った所為が子供の方向修正に向けられた場合、
程度が小さければ其れ即ちギリギリしつけの範疇に留まり、
程度が大きければ虐待なり。

その遺伝子的ということも
本来の種の保存の生命システムに抗っている。

臆病傲慢を起点として逆作用的に手伝っている。

逆を行けるから我は天才だ、すごいんだ、
特権階級だという考えに深層心理が飛びついている。
単なる傲慢臆病人間のストレス解消行為だとは気づいていない。

しかも
親の将来において
地獄を自ら設定する自殺行為、
此れに等しいことにも気が付かない。

これが虐待だと?
いいや、このくらい当然だ、
このくらいは良いだろうと思っているかどうかも不明、
実際は、なんも考えていないというのが本当のところだろう。

本人が気づいているか否かは問題にならない。

虐待親たる本人は、
今さえ、しのげれば、
明日は、どうでも良いタイプが多い。

「我、たがをはずして、我が子を追い込む、此れ、
種の保存に逆らうは、人の限界点を超えた神の所業なり」
という感覚に支配されたトランス状態を持っていたりします。

すなわちストレス解消なんだな。

我が所有物的な思い込みを持ってして
自己の不利益となる厳然たる虐待加害者的事実を
決して認めようとしない生命状態、
要するに、バカなのである。

虐待を受けてきた子供は
いつも次のように思っています。
「ほら、見てみろ!
俺のほうが正しかっただろうが!」

言い方は、もっと、ソフトなんだが
子供の心情の本音は上記の如き言い方なり、
「だから言ったでしょう」
「警告は何度もしていましたよ」
「なんで私のアドバイスを受け入れなかったんですか」
「正しい情報をずいぶん前から提供していたはずです」
などと我が子供に言われることが、
癪に障ってタマラナイのが
育ててやったんだぜタイプの
勘違い虐待親の昔からの傾向である。

素直に物事を認めないのだ、バカ親だからね。

我が子が
しっかり者に育っているから
親に注意や警告を出してくるのだ
という事実状態を認識できないし
認識できたところで反故にしてくる。

「出来損ないの反面教師的な親を
我が子は守ろうとして必死なのだアリガトウ」
という感謝の気持ちを親は我が子に持たない。

口癖は
「親が子供に謝ってたまるか」
「親のほうが子供よりも偉い、だから絶対に謝らない」
「それでも、親は親なのだ、親は子供に何をしても良い」
必ず人生の最後で子供に復讐されるタイプの親は将に此れなり。

虐待された子供は知っている、
親の人生の途中で
如何に良い時代(時期)が有ったとしても
死ぬ直前に子供から裏切られた親の人生は
失敗なんだと知っている、終わり悪ければすべて悪し、
それこそ
人間という生き物が
人生の死ぬ直前の最悪の状態なんだと
虐待を受けてきた子供は本当に理解している。

親が虐待をエスカレートさせて
我が子を殺さなかったばかりに
今度は因果応報の仕返しを食らうというわけ。

ひどい仕打ちに耐えた虐待被害児は
生き残ったことが大勝利なんだと自覚している。

立場が逆転するわけ、
老いては子に従えというわけで
老人虐待が開始されれば勝利は確実だ。

親は言うだろう
「虐待なんかしていない」
「おまえは被害妄想なのだ」
「しつけの一環で、やったことだ」
いろいろ、言い訳してくるんだな此れが。

しかし、この状況こそ、
以前に味わったことが有る状況の
まさに逆を行くパターン、
そのまま、ブーメランで返してあげれば良い。

「老人虐待なんかしていない」
「おまえは被害妄想なのだ」
「しつけの一環で、やったことだ、ボケ老人対策だ」

他人が何か言ってきたら次のように言おう。

「この場合、法は家庭に入らない、
老人介護でも一緒だ、こっちは大変なんだ、
じゃあ、オマエが代わりに介護できるか、できんやろ、
クチだけのくせに、オマエ他人やろが、干渉するな、バカ」

家庭内弱肉強食の当然の帰結を実行するならば、
聞く耳を持たず、暴力的なのは、かつての子供なり。

今度は、
親がヨボヨボになって実の我が子から、
毎日、怒鳴られる、不条理を押し付けられる、
たたかれる、鎖につながれて、飯抜きの飢餓を味わう。

「なんで中間テストの前日に草むしりを強制してきた?」
「タイミング的に、おかしいだろ?わからんか、オマエ」
「勉強できなくしたのは、おまえら、親の責任だろうが」

「私はバカです、ゴミです、許してくださいと言え、クソババア」
「わたしは腐った閉経ババアです、ごめんなさい、と言え、はやく死ね」

そう言いながら、ビシバシ、
木刀でババアを叩く、コレが復讐の快感なのだ。

今だからこそ言える、相手がヨボヨボの親だからこそ、
弱っているからこそ、とことん、いじめ返すことが出来る。

やられたほうは
どんな細かいことでも決して忘れないが
やったほうは忘れてしまっているから頭にくる。

やられた側の子供の
想念中心で考えて良いのは、
覚えていても忘れたフリをする親が存在するからだ。

いざ思い出しても、
過去は過去と誤魔化す親、
決定権をコチラが持つべきなのは、
まさに其のためであり、
これを敢行しないと一生を踏み間違える。

そして、認めたら認めたで、
口先だけの謝罪をしてオシマイなわけだから、
やはり、同じ事だ。

そして、万が一、
単なるコチラ側の思い込みで、
論理的に
「親は子供を見捨てていない」
と解釈できたとしても、
その親の論調に乗ってはイケナイ。

その論調で巧妙に親側は
ゴリ押ししてきたのだから!

じゃあ、俺の、
この心の欠落感は何なのだ?
幼少の頃に抱いた不条理感は何なのだ?というわけよ。

虐待をシツケの一環と主張して少しも、はばからない、
もちろん、心のなかでは
「あのときは、やりすぎた、しまった」と思い出しても
忘れたふりをするし、本当に忘れていた場合は、
ふつう忘れるか?という意味において、
とんでもないバカ親キチガイ親を証明している。

この仕返し実行行為に到達する前に
虐待親を含めた一切の係累と関係断絶を
決意することができた御仁は賢明なり、幸福なり。

一生償ってもらいまっせグフフ
という老人虐待の連鎖構造を避けるために
親を見捨てて縁を切るわけだから、コチラ側としては、
わざわざ、温情判決を出してやっているようなものである。

どんなにコチラ側が
話し合いを通じて虐待被害の正当性を主張しても、
実の親は虐待した事実を認めずに忘れたふりをして、
いつまでたってもアナタは親から受けた暴力が忘れられない。

そもそも
狂った親の仕打ちをアナタは確実に
子どもの純粋な感性で感じ取ったはずだ。

「理屈などでは説明できない正しすぎる感覚」
を論理的な説得などでねじ曲げることは出来ない。

言葉では
把握できなくても
子供時代の感性によって
親による暴虐非道を把握して覚えていた。

やられたほうは、
いつまでも覚えているのが、世の中の常である。

しかし、やったほうの親側は、
どこまでも屁理屈をこねてシツケだったと主張する。

そんな親だからこそ、
アナタは親からの愛情を
感じていなかったはずではないのか?

自己のミスを認めない親とは
堂々巡りでオシマイなわけだ。
結局は、親との話し合いで、
どうにかなる種類の物事ではない。

そして、百歩譲って、
コチラ側(子供側)が
間違っていたと仮定してみよう。
それでも、親を見捨てて良い。

なぜならば、間違った判断を
させるように教育してきたのは、
まがいもなく我が親の責任である。

法的責任だけを
家庭裁判所の決定によって
負うだけにすぎないことを
ハッキリ自覚しておくべきなのだ。

それ以外は、親をどう扱おうが、
日本という国家において認められた自由である、
正当なる権利である。

同居してシツケの一環として親をビンタしても、
そのぐらいでは、警察は家庭に入らず、おとがめなし!

しかしながら、
そのシツケを実行しないで、
何処か遠いところに住居を構え、
親に連絡をとらせないで、
音信不通にして、
親の葬式にも顔を出さず親兄弟親戚縁者と
絶縁状態にしてあげるのはコチラ側の温情である。

それが出来ない、
それを寂しいから実行できない、
だから今まで親の思うつぼだった、
その事実をよくよく思い出してみれば良い。

虐待を受けた子供の
恋愛や結婚が、うまくいかないことを、
親に償わせるための我が温情判決は如何、
其れが、
縁を切ること、音信不通にすること、
見捨ててしまって決して関わらないこと、
そのような結論を出せる虐待被害者は優等生なり。

親族が家庭裁判所に訴えた?
費用分担請求とか扶養の義務とか?

まずは
一般論としてコチラのURLを参考
他の扶養義務者に対し判例は過去の扶養料求償を認めている

しかし、
あなたは回避できる。
参考事例を提示しておこう。

西村博之(ひろゆき)が民事裁判で敗訴した賠償金10億円以上を払わない件

どうして「ひろゆき」は強制執行妨害で逮捕されないんですか?

ひろゆき複数の民事訴訟における敗訴と損害賠償金額5億円以上の未払い

ボロアパートを借りて
そこに住民票の住所を定め
どうでもよい日用品だけ置きましょう。

強制執行されても平気な動産だけ置きましょう。

不動産は売っぱらってしまいましょう。

我は、
ホテル暮らしのアリエッティ
または
恋人の住居に居候すりゃエエわい。

たとえ
原告に口座を知られても
預金通帳から全額引き出して、
差し押さえも免脱してやるわい。

親と断絶して
遠方に住んでいても
保護責任者遺棄致死が成立ですと?
大丈夫、そのくらいでは、死刑にはならんですばい。

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 虐待被害者の恋愛 | 更新情報をチェックする
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