引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年09月15日

昔の恋人と比較することの是非

昔の恋人を引き合いに出して
実は自分の意識を見つめているに過ぎない。

昔の自分の感覚を呼び覚まし
現在の自分の感覚を検証しており、
自意識有るところに比較対象の他人も有り、
だからこそ、自分の立っている場所が分かる。

自分の立ち位置を確認する手法として
昔の自分と今の自分と昔の恋人と今の恋人と
其の他大勢の一般抽象化された「他人」を比較しつつ
前進するのが人間の営みです、比べないと差は分からぬ。

大切なのは
「自分を他人と比べてはいけないことだ」
などと言う偉い先生たちも居るかも知れない。

しかし、他人と比べることが
我が身を助けることは、とても多い。

上を見て、まだまだ、
がんばろうと自己を鼓舞したり
下を見て、俺は、まだまだ恵まれている、
という知足を実感したりする。

他人を見ない、
自分を見つめて自分を誉める、
これに、はまり過ぎると大変に危険である。

自己愛は、もちろん大切なのだが、
ピンチの時にも自分を肯定するわけだから、
かえって自分の身を危険な方向に
押し出していることに気がついていない人も多い。

生きていくうえで
大切なのがバランス感覚ならば
バランス感覚を十分に発揮した状態で
上を見たり下を見たりで、調整すれば良い。

やはり
我が身を前進させる、すなわち、
幸せの方向に向けることが出来るのならば、
なんでもかんでも世の中の情報を取り入れて
無理やりプラス価値化していくのも良いと思うのだ。

次のように、世間では、よく、言われる。
うちはうち、外は外。他人は他人、自分は自分。

しかし、比較しなければ、
自分の立ち位置は決して見えるものではない。

もちろん、
上を見てもきりがないし、下を見てもきりがない、
じゃあ、どこらへんに自己の快適な中庸が存在するかを
幸福三原則というモノサシで計測しながら進めば良いだろう。

この女で良いのかという認識、この女で良いのだという認識。

俺は親に虐待されてきたわけで
フラッシュバック現象も、よく起きる。

しかし、食べ物を
おいしいと感じたときは確かに有ったのだ。

ラジオを聞き、テレビを見て、
ビートたけしに笑わせてもらったことも確実に、あったのだ。

友人みたいな連中と会話して
調子に乗ってゲラゲラ楽しく笑ったこともあったのだ。

ここで、他人と比べてみる。

生まれて笑いもせず、
おいしいと感じることも出来ないままに、
悲しく死んでいく赤ん坊は存在するのか?

もちろん、存在する。

じゃあ、赤ん坊を育児ストレスが原因で
殺してしまうヒステリック母親は存在するのか?

これも、確実に、存在する。

世間を知る、
世界を知る、歴史を知る、
すると、自分が、もしかして、
まだまだ恵まれている方だと気が付く。

いま俺は渋くて美味しい八女茶を
湯呑み茶碗に半分注いでゴクゴク飲んでみた。

なんという贅沢な環境に
安息して生きているのだろうと自分を恥ずかしく思う。

オークションハウスという漫画はスゴイ、
親に性的虐待を受けて殺し屋になった女性が登場する。

オークションハウスという漫画を知り合いに紹介したら
「ああ、あのエッチい漫画ですか?ほとんどエロ漫画ですね!」
と一笑に付された。

もちろん、彼とは絶縁した、
お坊ちゃん体質の野郎だったし…

しかし、虐待被害者こそ、
あの漫画の奥の深さを知ることが出来るのだ。

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 恋愛コラム | 更新情報をチェックする
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