引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年08月06日

男や女の自己満足美学の光と影

ロマンチック恋愛関係あと付け美学と功罪。
自己満足に美学を感じている人々が大勢います。

運命だ!これこそ美しいのだ!男の美学だ!と皆さん思います。

数奇な運命だったとしか言いようがないという考え方は、
生き残ったモノ(物や者)を後から観察して言っている。

ただ其れだけに過ぎない。

才能が有りそうな人が
何ら結果を残さずに引退や
死亡した場合まったく誰も問題にしない。

ということは、一回でも、
程度のデカイ良い結果を出していることを前提にしている。

少々の結果ぐらいで
彼に才能が有ったけれど、
無冠の帝王とか、惜しい人を無くしたとか、ちょっとオカシイわけだ。

評価のためには、
それなりに自己以外が認識しうる形式で
周辺の人々に結果を知ろしめる流布が必要。

流布必要なしの自己満足もアリだが、
何処までも自己満足を求めると通常の求める結果から迂遠になり
飛ばされる、すなわち、チョット風変わりなヘナチョコ結果を得てしまう。

これは本末転倒であって、
でもでも自己満足的な結果でも、
そりゃ、アンタの人生だから良いのだろうけど、
ヘナチョコ結果を伴った考え方やファッションの人物を
街で見かけたことは誰でもあるだろうが、やはり、何かが違う、
社会で通用しないであろう独特の自己満足臭気を当たりにまき散らして
単なる異形に終わっている感が否めない。

それでも、
俺様が満足していれば、
それで良いのだという人は、
ある種のリスクを抱え込む、すなわち、
「おまえ、いったい、なんやねん!誰やねん!」
という迫害にも似た民衆の無言の圧力や嫌がらせを受けたりしてしまう。

だから、自己満足的な結果と、社会的に通用しうる結果との
絶妙なバランス感覚が重要なのだが「恋愛」においては、どうか?

さてさて恋愛において、
最初からロマンを求めて計画することは
運命的な結果を我が行動によって構築しようとする試みなわけだが、
運命というモノの本質から外れやすい代物。

なぜならば、計画的に実行している時点で、もはや、
それは確率を高めつつ良い結果を出すために目標や目的に引きずられている。

なるべく偶然性を排除しようとする試みこそ、
物事の成功の種まきであり思い通りに事を運ぶ人生の鉄則
これは確かに分かる大切ですよね誰もが失敗なんてしたくないですから。

しかしながら計画的に予定を立ててロマンを実行するとは
もはや似非で自己満足寄り過ぎ的の擬似的なロマンチック計画なり、
予定して実践しているから、偶然的ではなく必然的に近づいている。

だが、運命的ロマンチックの本質は予定された演出や
計画的実践とは最も遠い場所に存在するのが理の当然、道理であろう。

いわゆる「容易に予測できるものは運命に値しない」という考え方。

運命とロマンチックとの関係性を
詳細に検討し探求する必要性は有るかもしれないが
とりあえず関連付けて「運命的ロマンチック」として話を続けます。

知らなかった、イノセントだった、しかしながら、何度も出会った、
ロマンチックな運命が此処に存在します、これならば、まあ良しと出来る。

道理に適う。

そもそも計画的な運命などは存在しない、
そんなものは、運命的な恋愛に見せた台本有りきの演出行為に過ぎない。

運命的な恋愛だ!と、
まだ成就してもいないうちから考える、故に、
予定を運命的にしようとする自己作為的な演出行動が生じて、
いわゆる不自然が生じるが、
これも運命的なものを手に入れるためだから〜、
などと無理をして不自然が生じてウマク行かなくなる。

運命的な恋愛だと判明する時期を考えましょう。

運命的な恋愛の本質は、
既に生じてしまった良い結果を
後から検証してから初めて判明する、
という順序の存在に気づきなさいという話。

運命的でなければ納得しない感覚を捨てれば、
じゅうぶん幸せに成れたかもしれない場合が
世の中には幾らでも有るでしょうにという御話。

すなわち、単純なリスクも何も考えずに、
ロマンチック恋愛を求める(運命的恋愛を求める)ことに対する、
老婆心的な警告を発してみたのだ、わざわざ、こんなところまで記事を書いて。

引っ張りすぎですか、
自己満足者に対する個人的な心配事ですね、
はい、そうですね、これは俺の余計なお世話であろう。

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 恋愛コラム | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。