引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年07月05日

ロマンチックな恋愛の光と影

恋愛におけるカン違いはロマンたりうるが
勘違い野郎とロマンチストとは紙一重であろう。

恋愛での勘違い野郎が進む道筋のパターン、
恋愛なんて勘違いや幻や思い込みだと仮定しよう。

勘違い野郎が
カンチガイしたまま
何処までも突っ走ろうとする。

そして、勘違い野郎は、
自分のスタイルを変えたくないために、周辺には、
勘違い野郎を許してくれる人間ばかりを置いて居心地良い空間をプロデュース。

カン違い行為維持のためにパワー補充を要する場合は、
その勘違いの程度によって、多くのガソリン補充が必要になってくる。

補充を周辺の仲間が行ってくれるか、
もしくは、自分だけで行わねばならぬか、その両方か。

一生涯カン違いのまま終えることが出来たら、
もしかしたら幸せだという解釈も出来そうだが、
生命の連続性を取り入れて考えた場合は、
来世に、どうなるもんか分からないという話。

まあ、恋愛カテゴリごときのカン違いに、
来世の流れも何も無いだろうと考えることも可能。

人生の途中でガソリンが切れた、
さあ、いつものように補充しようとしても、
ままならない場合は勘違い野郎の転機到来である。

友人たちからも、勘違い野郎は、
「まさに其のとおりに勘違い野郎であるがゆえにキモイ」
という理由で、見捨てられたりする。

ここで反省して、
自己のカン違いを修正していくか、
それとも、
カン違いをなおも継続させようと画策、
すなわち、
策をこねくり回して無理を重ねて自滅していくか、
この2つの方向性に分かれるだろう、もちろん、
癌細胞よろしく、
自己の周辺の取り巻きを再構築するという姑息な一時しのぎも考えられるが、
その場合は、
ま〜だ此の勘違い野郎は分かってね〜んだな〜と、
冷静な観察者の眼間からは見えちゃいますことウケアイ。

いずれにしろ
観察者が存在した場合は、
その中から批判者や誹謗者が登場して、
カノ者を「悪あがき」だと決め付ける。

しかし、びっくりするのだが、
誰にも迷惑をかけていないのに、
悪いイメージをかぶせようとして、
かの者の恋愛を妨害しようとするジェラシーマニアは存在する。

たとえば、バツイチで2人の子持ちの、
40代後半の陰謀ババアかつ貧乏ババアにおいては、
ジェラシーマニアの炎がイキナリ何の予告もなく、
メラゾーマ的に燃え上がったりすることは、しばしば起こりうることだ。

まったく
自分には関係ないカヤの外
なのにもかかわらず、首を突っ込む、
少しでも自分の影響力を及ぼせそうならば、
相手が悪くなっていく方向で関わろうとする。

周りが不幸になっていく方向で、
巧みに情報操作などを実行していくのが、
ジェラシーマニアクソババアの特徴ゆえ始末に負えない。

他に、やることないのである、
時間の無駄遣いが趣味なのである。

さて、恋愛カテゴリで他人に迷惑を掛けるのが勘違い野郎で、
迷惑をかけずに行動しているのがロマンチストであると定義しても良いものか?

よく分かりませんので保留ということにしておこう。

思うに、
勘違い野郎かどうかは、
迷惑の程度にも拠るだろうが、
人によってカノ者を勘違い野郎と見做すか、
それとも、ロマンチストだと見做すかは相対的なもの。

ならば、感覚で判断して、
関わりたくないか、関わっても平気なのかという、
自己の余裕度的なモノサシによって勝手に決めて良いと思う。

結局は人と人とが関係性を構築する上で、
プラスイメージの言葉で関係性を確認するか、
マイナスイメージの言葉で関係性を確認するか、
すなわち「合うか合わないか」
という人生の基本的な尺度を恋愛の領域に持ってきたに過ぎない、
つまり、
勘違いしているかもしれない人を見て自分との関係において、
自分の思うままの感情を先行させたあとで、
言葉による後行的な認識用の定義付けを実践しているに過ぎない。

奇妙なA太郎を定義付ける時に、
Bさんは彼をロマンチストだと言うが、
Cさんは彼を勘違い野郎だと言うわけである。

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 恋愛コラム | 更新情報をチェックする
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