引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年02月02日

恋愛で重い男と女、その本質的意味その5

前回からの続き。

様々な場面で
与えるのが愛である!
という考え方が氾濫している。

この考え方の実質を検討していく上で、やはり、
愛の三原則というモノサシ(フィルタリング)を
適切に活用したほうがマヤカシを見抜けると考えて
ブログ記事を書いています(俺のほうがマヤカシかも)

与えることこそ愛だ!
と解釈したときの自律基準を
またもや提示しておきます(愛の三原則)

(1)相手より自己の立場が
思いっきり強い状況であるべき。
その上で余裕を持って
相手に与えているか?を厳密にチェックすべき。

(2)その強さは、相手を
何らかの解釈において「殺せる」強さであるべき。
その上で相手を殺さないでいるか?
殺すは精神的なもので足りる。すなわち、
コチラが相手と縁を切れば、
相手はダメになって精神的に死ぬだろう
という状況であるべき。
場合によっては、
肉体的に殺しちゃう人や組織も存在するだろう。
縁を切らないで
関係しておくことイコール相手を殺さないでおくこと、
これは有りうる。

(3)相手に与えることが、無理な負担や
生命の危機を自己に及ぼさないことであるべき。
生命の余裕を持って与えるのが愛です。
自己に余裕のない場合に与えてしまうのは
もはや、そんなもの「愛」ではなく、
「お人好し」「詐欺被害者」「臆病」「気弱」
「弱肉強食」「方便」「無謀」「命乞い」「勘違い」
「気の迷い」「イヤラシイ目的」「その他」
である可能性アリ。

赤ん坊や子供に
愛情を注ぐのは父母にとって愛だろうか?
片親で考えてみようか。
じゃあ、母子家庭ということにします。
さて、仕切りなおし。

母親が子どもに愛情を注ぐのは愛だろうか?
虐待死させることもできるし、
いざとなったら赤ちゃんポストに投函して
将来の人格成長の途上で「或る種の殺し」を実行できる。

ならば、立場は強く
生殺与奪権を有していると言えそうである。
すなわち、(1)(2)はクリアしている。

しかし、
赤ん坊に与えることが
日本という国家において
母親の生命の危機をもたらす可能性は有るのか?

享保の大飢饉でもあるまいにや。

パチスロ吉宗が
全盛期に暴れまわっていた頃の
10万円以上の負け組オケラ連中は、
「これが本当の享保の大飢饉じゃ!キョホホ!」
と居酒屋で話していたが、
実際は、余裕シャクシャク釈由美子。

同じく、マトモな母親であれば、
現代の日本で赤ん坊に与えることが
母親の生命の危機をもたらす可能性など無い。

すると、
(3)余裕を持って与えることができる場合に該当し、
愛と言えそうだが、まだ、分からない。何かが違う…

いや、まあ、とりあえず、
其処に愛は有るのか?と問われたら
愛の三原則に合致していれば、
有ると言わざるを得ない。

母子家庭であれ、
母子家庭ではない場合であれ、
区別することをしなくて考えてみた。

金持ち母さんが
愛の三原則を満たして
自分の赤ん坊に与えることを
愛である!と言ってもスッキリする。

ここにおいて、なぜかしら、
余裕が無い場合を考えてみよう。
すると、愛情なども含めて、
余裕を持たない母親が赤ん坊や子供に
いろいろ与えるのは愛だろうか?と気が付く。

まったく余裕が無いのに
「ハラ減った母ちゃん」と哀願する子供に
ちゃんとゴハンを与え続ける貧乏な母親は居る。

余裕が無いのに与えている、
なぜ、余裕が無いのかは不明だが、
それは経済なのか気持ちなのか、
一体なにが足りなくて余裕が無いのか?
まあ、よいわい。

とにかく
何らかの余裕が無いので、
違うということになる、愛ではない。

じゃあ、何か?
余裕の無い母親が
子に様々に与える行為は
「当然の義務」ということになる!

おそらく金持ち母さんであっても
子に与えるのは当然の義務である!
ということになるかもしれない。

親子の特殊性か?
金持ち母さんが与えれば愛と呼ばれて
貧乏母さんが与えれば当然の義務とは此れ如何に!

おそらく
親子の場合は
当然の義務と解釈したほうが良さそうだ。

愛の三原則は他人がらみの場合に
モノサシとしての効果を発揮するのかもしれない。

経済的余裕が無いのに
それでも子に食物を与える場合は、
そもそも「愛」でなく、「実行すべき義務」だし、
経済的余裕が無いから子に与えないのは、
そもそも与えていないのだから
当然に「愛」ではなく「行政の問題」ということだ。

これにて、経済的余裕が無ければ、
愛は実践しにくいものだということが分かる。

別に、これといって、
愛を実践すべき法律上の義務は無いですが。

さて、この母親は、
食べさせるぐらいの余裕は有ったはずだ。
餓死した幼児のうち1歳児はウンコを食った形跡あり
与えることの意味を厳密に考えてみた。

さて、以上の考え方を、
「なぜ恋愛は重くなくて軽く有るべきか?」
「重い恋愛はナゼ敬遠されるのか?」
に当てはめて考えてみる。

すなわち、恋愛で重いのは
余裕の無さを別物で埋めようとする、
誤魔化しの所為、マヤカシ行為だからだ。

夫婦でも重いのは息苦しい、
金銭的に余裕が無いことなどを
愛の重さで埋めようとしている。

セックスばかりしている貧乏夫婦を
具体的にイメージして引いてください。

プラトニックの場合は
もっと分かりやすいですぞ。

なんでそんなに重いの?
まだセックスもしてないのよ!
恋人でも夫婦でもないのよ!という感じだね。

重いのとマジメは違う。
軽いのとナンパ小僧も違う。
重さとは余裕の無さに起因するものだから、
それ、すなわち実力の無さを表しているのだ。

重くすることで
自己の真剣さをアピールしようとするが、
怪しさムンムン、いざムンムン、なのだ。

いかにアナタのことを大切に考えているか、
それを言葉と行動で実行しようとするが、
重いとなれば、
ほとんどの男どもは
スマートさに欠けており、
男が楽しませてくれる人じゃなくなっている。

窮屈なんだよね。
車やデジカメやパソコンを上手に利用し、
スポーツや多趣味などを上手に会話に混ぜて
余裕シャクシャクの釈由美夫が重くない男なり。

物品を上手に操り
アイテムの使い方が上手で、
女性の物欲を刺激するけど、
実は精神上の中身も詰まっているマジメな男、
会話も楽しく、当然のように時間も金も稼いでいる。

いろんな意味で
本当に上手なんだよね、
さまざまな意味で余裕を持って冷静で上手だ。

これがホントの
冷めているからこそ上手。

サメているからジョーズ、鮫ジョーズ、
鮫ているからこそジョーズ(JAWS)

はい、ダジャレ罪により退学処分です。
そんな不条理に「さめざめと泣く」
鮫ザメと泣く ← おジョーズですね

こんなフザケた記事は
しゃくにさわりますよね、
シャーク(SHARK)にさわりますよね。

こんな記事は
まるで、ホホジロザメのようだ。

人を喰ったような記事だから! ← 85点

ちなみに
時間は金に換算できて
金は時間に換算できるから
時間も金も稼いでいるという表現を使った。
いわゆる時間稼ぎという悪いイメージにはあらず。

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 愛の三原則 | 更新情報をチェックする
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