引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年02月01日

恋愛で重い男と女、その本質的意味その4


さて、前回からの続きです。

自分の可愛い我が子が
火事の中に取り残されている場合に、
わが子を救出するため
燃えている中に
飛び込んでいく親の行為は
何に当たるか?愛か?

少し復習しておきましょう。

(1)まずは、相手よりも
自己の立場が思いっきり強いのか?
その上で余裕を持って相手に与えているか?

(2)次に、その強さは、相手を何らかの解釈において
「殺せる」強さなのか?その上で相手を殺さないでいるか?

(3)最後に、相手に与えることが、
無理な負担や生命の危機を自己に及ぼすか?

(1)(2)は満たしているでしょう。
問題というか、悩むべきは(3)です。
答えは「無謀」
ということになって
「愛」ではないです。

結果として救出できた場合でも、
親子とも焼け死んだ場合でも、
「無謀」です。

結果が良ければ、
「愛」なんじゃないの?
という考え方も有るかもしれません。

しかし、
結果良ければ全て良し
というイメージパワーによって、
単に反射的なイメージ付けが
惰性的解釈として行われるに過ぎません。

世の中も人生も
結果が全てだから
愛でいいんじゃないの?
という考え方もあるかもしれません。

しかし、それならば、
「愛」ではなくて
「良い結果」と言うべきです。

与えることが
自己の生命の危機に繋がる、
そういう場合でも与えてしまうことを、
長らく人々は「愛」だと指称してきた経緯が有る。

だからこそ、
「無謀」を認めることができなくて、
人生を狂わせる人が
後から後へと出現してきます、
それを心配しているだけの(3)という基準です。

「無謀だよ」
「搾取されているよ」
「英雄気取りだよ」などなど、
それを注意してほしいだけです。

すると、
自己の生命の危機をものともせずに、
命を捧げるべき相手が
滅多に存在しないのが分かるでしょう。

SPが命を賭して
要人を警護するのは
「愛」ではなくて「仕事」です。

ここでハッキリお断りしておきますが
どのような解釈をしようと皆さんの自由です、
時場所方法どんな場合でも皆さんは勝手気ままに
「いいや、これは、愛だ!」と解釈しても良いのですよ。

いざとなったら、
いつでも殺せる強い立場の人間は、
相手に見返りを求めない愛を与えることが出来る。

ただし、気に入らなかったら、
いつでも殺せるのである、
ここがポイント。

ちなみに、SPも要人警護のとき
要人を殺せるかどうかは皆さん自由に考えてください。
ここでは議論を省略しておきます、めんどくさいので。

すなわち、
与えられる相手Bが殺されない間は
確固たる与える側Aの「愛」が存在するし、
のちに相手Bが
与える側Aから殺されたとしても、
やはり、
相手Bに与え続けて相手Bが殺されるまでは
確固たる与える側Aの「愛」が存在したのである。

なにをやっても、
どこまでも調子にのっても、
自分だけは愛されているから大丈夫、
などと勘違いしている人間は悲惨である。

愛の本当の怖さを分かっていない。
美しさを強調したイメージを
「愛」という言葉に持たせた人が居る。

単純な言い方で、
愛が見返りを求めないもの、
愛は与え続けるものだなんて、
いったい、
どんなエライ大学教授が
提唱した考え方なのだろう?

そんな愛の通説、愛の定説、
確定的な愛の概念、世間的な愛の認識、、、

なんじゃい、そりゃ!
本当に、いったい誰が決めたのだ?

悪い影響を受けている若者いねえか?

闇金ウシジマくんというマンガを
よく読んで勉強しなおしましょう。

愛は取扱注意だ。
では、次回も、さらに検討していこう!

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 愛の三原則 | 更新情報をチェックする
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