引っ越すことで恋愛関係をリセットする場合

2012年01月31日

恋愛で重い男と女、その本質的意味その3

与えるのが愛だと考えた場合の
3つのフィルタリング(その愛の正誤判断装置)
に関して前回から引き続き今回も記事として書く。

(1)まずは、相手よりも
自己の立場が思いっきり強いのかを考えましょう。
その上で余裕を持って相手に与えているか?

(2)次に、その強さは、
相手を何らかの解釈において
「殺せる」強さなのか考えましょう。
その上で相手を殺さないでいるか?
相手と縁を切れば、
相手はダメになっていくだろうと分かっていて、
縁を切らないで繋がりを持っておくのも
相手を殺さないでおく類のことです。

(3)最後に、相手に与えることが、
無理な負担や生命の危機を自己に及ぼすか考えましょう。
生命の余裕を持って与えるのが愛です。
余裕のない場合に与えてしまうのは「愛」ではなく、
むしろ「お人好し」「臆病」「気弱」「無謀」
「勘違い」「気の迷い」「その他」である可能性アリ。

自己に余裕がない場合に与えたときに限って、
しばしば発生する現象が次の事例です、哀しいです。

もらったほうは、ややもすれば、
「アンタが与えたから俺の人生が狂った」
などと恩知らずなことを言ってくる場合があります。

恩知らずを指摘すると
「恩着せがましい」などと反論してきます。

しかし、
こういう奴に限って、
与えないなら与えないで
「愛がない、冷淡だ、自分勝手」などと言ってきます。

ボランティアをやらない若者が増えたのには
必ず原因が有って、やっぱり賢くなったのです。

関わったら大変なことに巻き込まれる、これ重要です。

すなわち、単に与える側が、
キチガイ乞食やドロボウ乞食に
ナメられているだけなんですね、、、。

なぜ、なめられているか?

あなたの立場が
相手と差がありすぎるくらい上でなく、
相手をいつでも殺せる立場にないなら、
与えられる側が調子にのってナメてきます。

同族嫌悪(同属嫌悪)タイプを思い出しましょう。
素直に喜ぶのでなくて調子に乗った考え方をします。

次のように
心の中で思いながらも結局は貰います。
「同じぐらいの立場なのに俺に与えるなボケ!」
「オマエは俺よりも上か?ふざけんじゃねえぞ!」
ということを考えつつも
きっちり、もらえるものは、もらいつつ、
与えてくれた相手を裏切るチャンスを待ちます。

これも悲しい事に
キチガイ乞食の人生の処方箋なので
ピンチの時に裏切られたほうが負けです。

人生は勝負、厳しいです、歴史を勉強しましょう。

さらに、余裕が無いのに与える場合に
上記の現象が起こりやすい理由の一つとして、
もらう相手が
「余裕が無いのに与えているぞ!」
と明確に認識しているわけです。

すると、
通常の感覚を持っている相手なら、
どのように考えるか?愛だと考えるか?
ちがいます。世の中は悪い奴だらけと考えましょう。

愛だとは
解釈してくれませんし、
私も愛ではないと考えます。

「こいつは、余裕が無いのに与えてしまう奴だ、
お人よしだ!コイツは利用出来るぞ!ウッシッシ!」

そのように考える人々が多すぎます。
仲良くなりたいからという理由で与えても、
「コイツは俺と仲良くなりたいのだな」
「仲良くなりたいって、そりゃ、弱みだな!ウッシッシ!」

「じゃあ、弱みに付け込もう!
もっと与えろ、もっとだ、もっとー!!!」

そして、
仲良くなりたいという弱みを
相手に悟られてしまっても、
そういう弱い立場の自己の状況を
認めたくないから、顔をそむけたいから、
「愛は与えるもの」という解釈で自分をごまかして
本音から逃げているに過ぎない。

自己が生命の危機を感じているのに
大切なものを与えてしまうのは、
自己の立場が弱い可能性も有りますので
注意が必要だということです。

単純に弱い立場の自己であることを
体面やメンツに配慮し、便利な言葉「愛」を使って、
上手に、自分で自分をごまかしてはならないわけです。

さて、ここで考えてみましょう。

自分の可愛い我が子が
火事の中に取り残されている場合に、
わが子を救出するため燃えている中に
飛び込んでいく行為は何に当たるか?愛か?

次回に続きます。

投稿者:桃李寿賀里

監修者:恋愛ブログ編集長
posted by 恋愛ブログ編集長 at 10:00| 愛の三原則 | 更新情報をチェックする